うまく行ったときの理由を探る
更新日:2020年6月7日
実習生の時に習うことの一つに、
うまくいってもかなくても、
どうしてそうなったのか、考察してと言われます。
うまく行かなかったときはかなりへこみ、
必死にどうしたらよかったのか、
どういうプロセスがミスを招いたのか、
考え抜いて、次回に備えます。
ただ、うまく行くと、能天気な私は、
そのままにしがちです。
「うまくいったんだからいいじゃん?」って。
これを覆させられたのは、
患者さんとの関係性のときです。
患者さん的には、一度「うまい味」を味わっているので、
いつでも、どんなときでも、
私たちから「うまい味」の
自分のためになる施術、リハビリを求めています。
単純にマッサージしてくれる、
○○してくれるというレベルでない、
何日で、状態Aから状態Bまで改善したという、
シビアな答えを求めてきます。
専門病院事情で、
同じ日にオペした人が複数存在したりするので、
ある意味、「競争、レース」があるのです。
しかも、退院日はおおよそ手術から〇週間後と決まっています。
患者も本気なのです。
というわけで、よくなればいいねではなく、
こちらから仕掛けていって、
良くなって、どうしたらそれの緻密さ、
つまり再現性が高くたもてるのかは、
こちらのミッションでもありました。
そぼくに厳しい世界です。
この世界に耐えられる人、情熱のある人は生き残れます。
どんどん学び、それが血となり肉となるでしょう。
ウッカリ忘れることがあっても、思い出せるでしょう。
そんなかんじなればいいですね。
この感覚は医療者には共通する感覚ですが、
果たして、教育の分野にこれが必要なのか、
私にはまだわかりません。
正しい、正しくないの定義が医療界のそれとはちがうので、
そこはもう少し模索しながらになりそうです。
