何故私が、理学療法士でありつつ、アレクサンダー教師を名乗るのか?
私はアレクサンダーテクニックにに出会ったのは、
理学療法士の新人時代、1年目か2年目です。
たまたまスポーツリハビリ病院に来た、
ピアノ科の子の為に、
何かしないとということから始まりました。
最初はエキサイティングに思いました。
理学療法の治療でもある程度は使えました。
決定打を打たれたのは、
カナダでアレクサンダー学校に行っていた時で、
はっきり言えば、解剖学的「デマ」「テキトー」が多すぎたのです。
アレクサンダー人は解剖学を学ぶと言いながら、
こんなに何も知らないのか、
それなのに人の身体をいじる、扱うのかと、
衝撃を受けました。
理学療法士なら、反省文ものです。
そこから、苦悩するようになりました。
学校にいる意味を感じなくなったのです。
医学的にはテキトーなことをテキトーな理論、
(アレクサンダーお爺さんではない彼の弟子)の
理論を学ばさされるので、
学校を退学しようと、1年目の終わりに本格的に悩みました。
学校をやめることは帰国を意味します。
当時私はすでにダンステックで元プリンシパルのクラスを見学しており、
バレエの勉強的には巡摩えた環境におり、
20畳はあろうかというリビングにスタンウェイを持つ
ピアニストのクラスメイトもおり、 学校を諦めても、彼らを諦める事ができませんでした。
そこで残ることにしました。
絶対にアレクサンダーテクニック教師だと名乗りますが、
同時に理学療法士である、
「スポーツリハビリをやってきている」
「脊柱や股関節・膝関節の専門病院に勤務している」
「脳卒中で高次脳機能障害を専属で担当する」
理学療法士である。
ただの、国家試験を取った、へっぽこではないという、
事を常に言うようになりました。
アレクサンダーテクニックはまだしも、
ボディマッピングは、専門家から見ると、
酷いものがあるのです。
アレクサンダーにしても、弟子の流派の喧嘩などという、
私からしたらくだらないことに、
興味はなかったのです。
凡人アレクサンダーが発見した、
そのテクニックそのもの、そのプロセスだけが大事でした。
この話はなかなかエグイので、
今まで書かないようにしていました。
ただ、クラファンをするにあたり、
私の正直な立ち位置を示す必要を感じています。
私はあくまでもガツガツの理学療法士です。
そのうえで、アレクサンダーお爺さんの見つけた、
ビュア、混ぜ物なしの「アレクサンダーテクニック」に引かれ、
アレクサンダーライセンスを取っています。
なんでもまぜこぜにして、
自分の楽器演奏やパフォーマンスの経験を
アレクサンダーやボディマッピングの名前を使って語られることを、
気持ちよく思っていません。
解剖学を研究している教授たちに恥ずかしい、
理学療法士たちに恥ずかしい、
専門性を持つスペシャリストたちへ恥ずかしいと思わないのか?
これが怒りであり、本音です。
人の役に立てていればいいとも思っています。
ただ、断言すること、人を故障させる方向へ導くことは
譲れません。
アレクサンダーテクニック教師であれば、
アレクサンダーの発見と、
ビルコナブルの発見の違いぐらい分かってください。
そんなことを思っています。