top of page

習い事と才能

先日ツイッターを読んでいたら、

ピアノの先生が

子供たちがやる気がないのを

あげてあげるのもこちらの腕前だ、

仕事だ(ため息交じり?)

という主旨のことを

書いていらっしゃいました。

なるほど、確かに。

私が子供時代に

習い事をした時のことを思い出すと

その先生の苦労を想像できたのですが、

ちょっと寂しい気持ちになったので

この記事を書きます。



まず、私は子供いないので

教育という一大事業の

渦中にいるわけではないので、

かなり気楽に見たまま、

思ったままを言います。

渦中にいる人には見えない、

全く違う世界に住んでいるので、

そこは初めに言っておきます。



先日言いましたが、

天才と秀才は違います。

天才を育てるのは一苦労でしょう。

歴史的にも頭がキレキレのひとは

興味の対象も変わっていますので。



秀才は、、、正確には、

なんちゃって秀才をそだてるのは、

比較的簡単です。

子供はエモーションと

モチベーションで動きます。

おだてる、褒める、報酬を与える、

例えば、親や先生が喜んで見せる、

もしくは先生やピアノのことを好きにさせる、

ここら辺ができれば、

子供は自ら何かを始めるか、協力してくれます。

先生の準備したテキストを

どんどんこなしてくれます。

子供の面白いという感覚を育てないと、

先生や親を喜ばすという手段に置き換わります。

できないことができて、楽しいと

感じてくれるような子供ならば、

この作戦でかなりマメに練習してくれるでしょう。

ただ、この作戦は、

餌がなくなった時に破綻します。

犬がえさをくれる人になつきますが、

他の人からも餌をもらえるようになると、

ある種の「信頼」が分散されるのに

似ています。



子供は犬ではないのですが、

比較してみると、共通点があるので、

比較検討してみると面白いです。



さて、習い事です。

親御さんが

タレンテッドやギフテッドかどうかで、

選択肢というか目標は結構変わります。

始めにきちんと親御さんの能力は

見ておいた方がいいでしょう。

タレンテッドは本当にすごいです。

ご自身で指導できないっていうことも

視野に入れて、次のいい先生を探すことも必要です。

ただ、才能は素晴らしくても、

子供である一面もあるので、

そこを習い事として先生に期待したいのです。

人としての在り方や、

本人が無条件でできてしまうことが

できない人もいるんだよということを

キチンと子供のころから知り、

視野を広く取らせてあげましょう。

人間力が問われます。



逆に、タレンテッドでない場合は、

習い事の基本はあくまでも

人間性の発達・確率の部分と、

モノを学ぶということを知ること、

継続していくことの体験などで充分です。

どんな楽器でも、

天才になるかは分かりませんが、

ギフテッドでない場合には、

そうとうに楽器と、練習を愛している状態でないと、

彼らには勝てません。

勝ち負けではないのですが、

それくらい能力差が出ます。



天才かどうかを見極めて

指導者側がここら辺まで

俯瞰的に現状をみて関わってくれたら、

余裕をもって生徒に関われるのかなと思います。

熱く見てくれているのは美徳ではありますが、

美徳なのか、教える側の自己満足なのか、

そこは線引きをしておいた方が

お互いの為だと思います。



習い事は一つでなく、

それぞれの楽しみがあり、

一生たしなむ人がプロなわけでもありません。

そういう入り口を開いているのです。

ステキな仕事だと思うので、

生徒側も先生側も、

変に疲れることなく、

楽しく、教えをしてほしいと思います。









閲覧数:42回0件のコメント

最新記事

すべて表示

外反母趾は仕方ないと思っているプロがたくさんいる。 ちなみに、プロとして困っていない、 外反母趾だからと職を失うことははない人です。 有名なダンサーさんたちでも、 有名な先生でも外反母趾の人はたくさんいます。 靴選び以外で困っている実感はないそうです。 これが現状だと思います。 リハビリとしてはプロで大人で困っていないなら、 「まぁ、様子見でよろしいですねー」と言っておきますが、 実際には、「うー

bottom of page